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正月の歌 [歴史・文化]
寒い雪の日が続いています。皆様お変わりなくお元気ですか。
やるべき議員削減、歳費削減は後回しで、消費税増税論議の政局ですが、
TVの錦織選手のテニスを見ながらメールしています。格上相手によく頑張っています。
さて、万葉歌、今回は大伴家持の正月の歌2首です。
冬過ぎて 春の来たれば年月は 新たなれども 人は旧(ふ)りゆく (巻10-1884)
(冬が過ぎて春が来ると、年月は新しくなるけれども、人は年を重ねて古びてゆく)
物皆は 新(あらた)しきよし ただしくも 人は旧(ふ)りゆく よろしかるべし (巻10-1885)
(物はみな新しいものが良いけれども、ただしかし、人が年を重ねて長ずるのも良いことだ)
寒さが厳しくなります。お体に気をつけてお暮らしください。
新年宴会時の歌 [歴史・文化]
大伴旅人の酒の歌 [歴史・文化]
今年も残すところ僅かになりました。いろんな事、特に災害の多かった年であり、中でも放射線被害については、終息するまでに半世紀を要するもののようです。
明るいニュースは、なでしこジャパンの快挙、世界三連覇の体操内村航平選手の事でした。
今年最後の万葉歌二種です。いずれも大伴旅人の酒の歌です。
この世にし 楽しくあらば 来(こ)む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ (巻3-348)
(この世において酒を飲んで楽しく過ごせるものならば、あの世では、虫にでも鳥にでもなったってかまわない)
生ける者 遂にも死ぬる ものにあれば この世にある間(ま)は 楽しくをあらな (巻3-349)
(生きている者は、いつかは死ぬというのだから、この世に生きてる間こそは、酒を飲んで楽しく生きよう)
皆様、希望を持って良いお年をお迎えください。
万葉の酒仙 [歴史・文化]
今年もついに師走の月に突入しました。いろんな事があった年でした。なかんずく東北大震災と東京電力第一原発の放射線被害は国民に陰陽両面の精神的影響を与えました。でも、国民は協力し合って立ち上がっています。
来年は希望の年である事を心から祈っています。今回の万葉歌は、大伴旅人の酒の歌です。
験(しるし)なきものを思はずば 一杯(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし (巻3-338)
(どう仕様もないもの思いをするくらいなら、一杯の濁り酒を飲んでた方がずっとよかろう)
酒の名を聖(ひじり)と負(おほ)せし いにしえの 大き聖の言(こと)のよろしさ (巻3-339)
(酒の名を「聖」と名付けた、いにしえの大聖人の言葉使いの見事さよ)
皆様、師走の忙しい時期を、お体大事にお暮らしください。
帰心矢のごとし [歴史・文化]
秋の夜長、物思う季節になりました。いろいろとあり、つい失念致して済みません。
気を取り直して、万葉歌です。
天平2年(730年)、太宰師(長官)大伴旅人は大納言に昇進して、11月、陸路を京へ帰りました。
一緒に帰る家臣達は、海路によりました。その節の帰心矢のごとき歌を2首紹介します。
何れも詠み人知らずです。
淡路島 門(と)渡る船の 楫(かじ)間にも 我は忘れず 家をしを思う (巻17-3894)
(そのままの心境ですから、解説は抜きです)
磯ごとに海人(あま)の釣舟泊(は)てにけり 我が舟泊ても 礒の知らなく (巻17-3892)
(磯ごとに、海人のつり舟が泊まっていて、それぞれの海人の港である事が分かるけれども、我が舟が
泊まる磯は何処であろうか・・・それは最後の磯であろう)
古代の人たちの帰任の喜びが垣間見られる情景です。
秋、人麻呂の歌 [歴史・文化]
なお、程遠い感じの東日本大震災の復興状況です。また、東電第一原発の放射線被害対策等
再建への道は遠いようです。今度はトルコ大地震、タイの大洪水が発生して大変な状況です。
一方、ギリシャの財政逼迫はEUの協力で危機を脱したものの、日本の赤字は過去最高になりました。
嗚呼、ため息をつきながらの万葉歌です。柿本人麻呂の歌2首です。
秋山の黄葉(もみじ)を茂み 迷いぬる 妹を求めむ 山道知らずも (巻2-208)
(秋山のもみじが茂って、迷ってしまった妻を求めようにも、道が分からない-)
(人麻呂が妻を亡くしたときに悲嘆に暮れて詠んだ歌です)
去年(こぞ)見てし 秋の月夜は 照らせども あい見し妹は いや年離(さか)る (巻2-211)
(去年見た秋の月夜は今年も相変わらず照らしているが、一緒に見た妻は年ごとに遠く離れてしまう)
(前出の歌と同じく、亡くなった妻を偲んで詠んだ歌です)
晩秋に、皆様のご健康を祈りなら、メールしています。
万葉の秋色 [歴史・文化]
お変わり有りませんか。災害の復旧はまだしも進みませんが、漸く秋の感じになりました。
朝夕の涼しさとともに、八百屋さんの店頭の柿や栗の実を見て、秋の季節を思います。
季節の変わり目は、お体にお気を付け下さい。さて、万葉集です。
今回は、秋を詠った大伴家持の歌2首です。
十月(かみなづき) しぐれの常か 我が背子(せこ)が やどのもみじ葉 散りぬべく見ゆ (巻19-4259)
(10月のしぐれのせいでしょうか、あなたの家のもみじが、今にも散りそうに見えますね)(隣家のもみじを詠んだものです)
あしひきの 山の黄葉(もみち)にしづくあいて 散らむ山道を 君が越えまく (巻19-4225)
(「あしひき」の山のもみじが、滴で散るだろう山道を あなたは越えていくんですね)(国政を記帳した報告書をもって、
都へ出張する部下を、越中から見送った時の歌です)
家持は近所への気配り、そして部下へのねぎらいを忘れなかった心優しい人だったようです。
万葉の秋 [歴史・文化]
すこーし秋です。皆様如何お暮らしですか。地震、津波、放射線、台風、集中豪雨と立て続けの災害です。
もっとも、放射線は人災であり絶対に許されるものではありませんが、自然災害には古来より、日本人はたびたびの体験を経て、強靱に鍛えられてきました。そのたびに、犠牲者への鎮魂の祈りを捧げ涙を流し、今日を築いてきました。
亡くなった人たちのために生き抜かねばなりません。
さて、万葉集から秋の話題です。
秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の京(みやこ)の仮り庵(いほ)し 思ほゆ (巻1-7)
額田王の歌です。(秋の野のススキを刈りとって屋根を葺いた、宇治の京の仮庵が思い出される)
人皆は 萩を秋と言う よし我は 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ (巻10-2110)
詠み人知らずの歌です。(みんなは萩を「秋」と言う。それもいいけれど、私は尾花の穂先を「秋」と言おう)と言う歌です。
秋の気配もあちこちに見られます。お元気でお暮らしください。
恭仁京勤務 [歴史・文化]
熱中症に戦々恐々していましたが、少しずつ秋になってるようです。
台風12号が近づいています。ご用心下さい。
野田新内閣が出来ましたが、期待できるのかどうか疑問です。
さて、万葉集です。
天平15年(743年)、大伴家持は妻を奈良においたまま久邇京(京都市相楽郡加茂町周辺)に
単身赴任で勤務していました。
山彦の相響(とよ)むまで 妻恋に 鹿鳴く山辺に ひとりのみして (巻8-1602)
(山彦がこだまするほどに、妻を求めて鹿が鳴く山辺に、一人ぽつねんと孤独をかこっています)
今造る久邇の都は 山川の 清けき見れば うべ知らすらし (巻8-1037)
(今、造営中の久邇の都は、清い山川があり、なるほど都として相応しい所だとうなずける)
聖武天皇は天平12年から(740年)から16年正月まで、久邇京を都としました。
萩の花は咲いたか [歴史・文化]
一時は、どうなるのか、地球が燃えてるんじゃーないかと思う暑さでした。
被災地の皆様は大変だったろうと思います。少し涼しくなりました。
でも、体調管理を怠らないようにして下さい。
さて、例によって、万葉集です。
天平3年(731年)7月25日、大伴の旅人が亡くなったとき、付き人の余命軍
(この人は、百済系の貴人で朝廷から命ぜられて付き人になっていました)が詠んだ
歌2首を紹介します。
かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問ひし君はも (巻3ー455)
(かくの如く、あっけなく亡くなられた主君は、萩の花が咲いているかと、お尋ねになったばかりなのに・・・。)
君に恋い いたもすべなみ 葦鶴(あしたづ)の 音のみし泣かゆ 朝夕にして (巻3-456)
(あなた様の事が思われ、もう何もする気がなく、葦鶴のように声を上げて泣いています、朝も夕も・・・。)
余命軍が今は亡き大伴旅人を慕う気持ちが、ひしひしと伝わって来ます。
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